和とは「何でも許すこと」ではない

── 多様性と境界のあいだにあるもの ──

組織には、さまざまな人が集まります。

真面目な人。
慎重な人。
勢いのある人。
変わった発想をする人。
不器用な人。
怠けやすい人。
要領よく立ち回る人。

時には、ずるさを持つ人もいます。

しかし、本来、多様な人が集まること自体は悪いことではありません。
むしろ、多様性があるからこそ、

  • 新しい発想が生まれ
  • 一つの価値観に偏らず
  • 組織が硬直せず
  • 思いもよらない進化が起きる

という面があります。

全員が同じ考え方、同じ性格、同じ感覚では、
組織は安定しても、次第に閉じていきます。

だからこそ、
「違い」が存在すること自体は、
本来とても自然なことなのです。

好き嫌いと、組織の善し悪しは別

ここで大切なのは、

「自分が好きか嫌いか」

と、

「組織にとって必要かどうか」

は別だということです。

静かな人が好きな人もいれば、
勢いのある人を好む人もいます。

理論的な人を信頼する人もいれば、
感覚的な人に安心する人もいます。

しかし、それは多くの場合、
「やり方の違い」
であって、
必ずしも組織を壊す要因ではありません。

違いがあるからこそ、
互いに補い合えることもあります。

問題なのは、
多様性そのものではありません。

問題は、
無秩序です。

和とは「放任」ではない

和という言葉は、
時に「何でも受け入れること」のように誤解されます。

しかし、本来の和は、
ただの放任ではありません。

平法道で言えば、
和とは、

「水鏡が保たれることで成立する調和」

です。

静けさがあり、
場が澄み、
互いが必要以上に乱し合わない。

その状態が保たれて初めて、
人は自然に響き合うことができます。

もし、

  • 常に他者を乱し続ける
  • 場を壊し続ける
  • 利己だけで動く
  • 不信を広げる
  • 他者の静けさを奪い続ける

そうした行為まで無制限に受け入れてしまえば、
結果として、
場全体の水鏡が濁っていきます。

すると、
最初は一人の乱れだったものが、
やがて全体へ広がっていきます。

和は崩れ、
空気は重くなり、
本来あった響きも失われていきます。

だから「境界」が必要になる

本当の和には、
境界が必要です。

ただし、
その境界は、
排除や支配のためではありません。

場の静けさを守るための境界です。

つまり、

  • 違いは受け入れる
  • 破壊には境界を引く

この両方が必要になります。

考え方の違い。
性格の違い。
得意不得意。
歩幅の違い。

それらは受け入れられます。

しかし、

  • 意図的な破壊
  • 継続的な濁り
  • 他者への侵食
  • 場を崩し続ける行為

まで放置すると、
結果として全員が苦しくなります。

だからこそ、
静けさを守るためには、
時に線を引く必要があります。

境界は「拒絶」ではない

ここで大切なのは、
境界とは、
相手を憎むことではないということです。

「あなたを否定する」

のではなく、

「この場の静けさを守る」

ということです。

つまり、
人を裁くのではなく、
場を整えるための働きです。

平法道でいうなら、
それは和を守る働きです。

境界がない組織は、
優しいように見えて、
最終的には全員が疲弊していきます。

逆に、
境界だけが強い組織は、
硬直し、
息苦しくなります。

だから必要なのは、

  • 多様性
  • 静けさ
  • 境界

この四つの均衡なのだと思います。

和とは、
ただ優しいだけの状態ではありません。

静けさを保ちながら、
違いが共に在れる状態です。

そのために、
受け入れることと、
線を引くことの両方が必要になるのです。